HISTORY 歴史

そこに、永い時を重ねた格式はあるか。

江戸時代、上屋敷が構えられた誇り高き場所

この地は品川区域にあった大名屋敷の中で唯一の上屋敷(藩邸)が構えられた場所。上屋敷とは、江戸における藩の政治的機構が置かれた大名屋敷をさし、播磨国三日月藩主・森家が江戸本邸として居住していました。さらに、ここは上屋敷と地続きの抱屋敷を含めて約2万坪を超える広さがあったと言われています。明治以降、この一帯は上大崎村字森ヶ崎という字名があり、その地名は、森家の「森」と周辺の地形が舌状台地であったため、その形を表わす「崎」をつけて「森ヶ崎」と名付けられたとされています。
画像出典:官版 東京大絵図(明治4年/1871年)

古くから多くの人に愛された景色を手にする丘。

この地に上屋敷を構えた三日月藩森家の日記に月見の宴を開くなどの記述があるほど、藩主は高台の土地柄を活かして、美しい月と江戸の見晴らしを愉しんでいました。本マンションを建築するにあたり、事前に埋蔵文化財の発掘調査が行われた際には、三日月藩森家上屋敷の溝状遺構や井戸跡、漆喰や粘土で整形された池跡が確認されたほか、江戸時代の陶器類や金属製品、森家の家紋が施された瓦など、数多くの遺物が発見されました。また江戸時代、現在の「目黒」駅周辺の高台エリアは、富士山まで見渡す絶景が眺められる名所として、数多くの人々が訪れ、初代歌川広重の「名所江戸百景」をはじめとする浮世絵の舞台にもなっています。

日本有数の邸宅地として知られる城南五山の花房山

ここ品川区上大崎3丁目界隈は城南五山のひとつ、花房山と呼ばれる地。城南五山とは、城南地区の高台で、山手線の内側、「目黒」駅から「品川」駅にかけてのエリアに位置。「花房山」、「池田山」、「島津山」、「御殿山」、「八ツ山」からなる総称で、江戸時代から大名の屋敷や華族の邸宅などが数多く点在していました。今なお、街の品格や気高さは脈々と受け継がれ、日本有数の閑静な邸宅地として高い人気を集めています。

西洋の文化をいち早く取り入れた進取のエリア

東京の中でも常に時代の先端をゆく街。この周辺は、アールデコ様式を採用した旧朝香宮邸(東京都庭園美術館)をはじめ、モダンな建物が点在。「Brillia Towers 目黒」が建つ品川区上大崎3丁目界隈は、明治末期、高名な外交官であった花房義質が、この地に別邸を構えたことから「花房山」と名付けられました。さまざまな国を渡り、西洋の文化をいち早く日本に伝えた花房義質。邸宅地としての気品と先進の空気を感じさせる異国の薫りは、この街の記憶とつながっています。
※物件画像は竣工時及び2023年12月に撮影された画像となります。
※上記画像にはイメージ写真等が含まれており、実際の設備や現状とは異なる場合があります。
※上記の内容は分譲当時のHP・パンフレットに記載されている内容を基に掲載しており、現状と異なる場合があります。