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History 歴史

そこに、永い時を重ねた格式はあるか。

江戸時代、上屋敷が構えられた誇り高き場所。

官版 東京大絵図(明治4年/1871年)

官版 東京大絵図(明治4年/1871年)

この地は品川区域にあった大名屋敷の中で唯一の上屋敷(藩邸)が構えられた場所。
上屋敷とは、江戸における藩の政治的機構が置かれた大名屋敷をさし、播磨国三日月藩主・森家が江戸本邸として居住していました。
さらに、ここは上屋敷と地続きの抱屋敷を含めて約2万坪を超える広さがあったと言われています。
明治以降、この一帯は上大崎村字森ヶ崎という字名があり、その地名は、森家の「森」と周辺の地形が舌状台地であったため、その形を表わす「崎」をつけて「森ヶ崎」と名付けられたとされています。

数々の遺跡が、400年前の記憶を今に証明する。

遺跡と瓦

本マンションを建築するにあたり、事前に埋蔵文化財の発掘調査が行われました。
その結果、三日月藩森家上屋敷跡地として、溝状遺構や井戸跡、漆喰や粘土で整形された池跡が確認されたほか、江戸時代の陶器類や金属製品、森家の家紋が施された瓦など、数多くの遺物が発見されました。

古くから多くの人に愛された景色を手にする丘。

初代歌川広重「名所江戸百景 爺々が茶屋」安政4(1857)年,二代歌川広重「江戸名勝図会 行人坂」文久2(1862)年,三代歌川豊国・二代歌川広重「江戸自慢三十六興目黒行人坂富士」元治元(1864)年

初代歌川広重
「名所江戸百景 爺々が茶屋」
安政4(1857)年

二代歌川広重
「江戸名勝図会 行人坂」
文久2(1862)年

三代歌川豊国・二代歌川広重
「江戸自慢三十六興目黒行人坂富士」
元治元(1864)年

この地に上屋敷を構えた三日月藩森家の日記に、月見の宴を開くなどの記述があるほど、高台の土地柄を活かして、藩主は美しい月と江戸の見晴らしを愉しんでいました。
また江戸時代、現在の「目黒」駅周辺の高台エリアは、富士山まで見渡す絶景が眺められる名所として、数多くの人々が訪れ、初代歌川広重の「名所江戸百景」をはじめとする浮世絵の舞台にもなっています。

日本有数の邸宅地として知られる城南五山の花房山。

城南五山エリア概念図

城南五山エリア概念図
※概念図につきましては、周辺エリアを概念的に
表現したもので、エリアを正確に特定するものではございません。

ここ品川区上大崎3丁目界隈は城南五山のひとつ、花房山と呼ばれる地。
城南五山とは、城南地区の高台で、山手線の内側、「目黒」駅から「品川」駅にかけてのエリアに位置。
「花房山」、「池田山」、「島津山」、「御殿山」、「八ツ山」からなる総称で、江戸時代から大名の屋敷や華族の邸宅などが数多く点在していました。
今なお、街の品格や気高さは脈々と受け継がれ、日本有数の閑静な邸宅地として高い人気を集めています。

西洋の文化をいち早く取り入れた進取のエリア。

花房義質(1842-1917)出典元:「画報 日本近代の歴史4巻」(協力:日本近現代研究会,東京都庭園美術館〈現地より約510m(ノースレジデンス)約580m(サウスレジデンス)〉(提供写真)

花房義質(1842-1917)
出典元:「画報 日本近代の歴史4巻」
(協力:日本近現代研究会)

東京都庭園美術館〈現地より約510m(ノースレジデンス)
約580m(サウスレジデンス)〉(提供写真)

東京の中でも常に時代の先端をゆく街。この周辺は、アールデコ様式を採用した旧朝香宮邸(東京都庭園美術館)をはじめ、モダンな建物が点在。「Brillia Towers 目黒」が誕生する品川区上大崎3丁目界隈は、明治末期、高名な外交官であった花房義質が、この地に別邸を構えたことから「花房山」と名付けられました。さまざまな国を渡り、西洋の文化をいち早く日本に伝えた花房義質。
邸宅地としての気品と先進の空気を感じさせる異国の薫りは、この街の記憶とつながっています。

※上記の内容は分譲当時のパンフレットに記載されている内容を基に掲載しており、実際とは異なる場合があります。